余白と問い — 手を止めることの生産性について
マルチタスクの時代
Claude Code開発者のBolisさんが、Claude Codeで複数のタスクを並行で進めることができる、とセンセーショナルに発信されて、エンジニア界隈はかなり触発された
これからの時代は複数エージェントをぶん回すのが常識!みたいな風潮が生まれて、SNSでも「並行作業で生産性が爆上がりした」みたいなポストが溢れた
実際、自分もバリバリやっている
否定する気もないし、できる人はできる
ただ、手放しでそこに全Betするのは少し危うさを感じる
「やることが洗い出せた後のモード」と「何をやるかを考えるモード」を意識せずにいると、自分を見失いやすい
並行作業が加速するのは、さあやるぞとなってからのフェーズだ
タスクが明確で、ゴールが見えていて、あとは手を動かすだけという状態であれば、並行でぶん回すのは理にかなっている
問題は、並行作業が常態化すると「何をやるか」を考える時間が見えにくくなっていくということ
次から次へとやることがやってきて、割り込み祭りみたいになる
忙しくオーケストレーションしていると、自分には千人の部下がいるみたいな気持ちにもなる
それが常態化すると、人間は割と簡単にそういう環境に適応していく
両手と頭で何枚も皿回しするような曲芸を極めていくと、それに特化した神経と筋肉が発達し、その状態であることにある種のカタルシスを感じ始める
今に始まった話ではない
いろんな人からいろんな要望や問い合わせが来て、それに全部対応しているうちに1日が終わる
組織という実体のない何かにペースを握られて、気づけばクタクタになっている
AIエージェント時代以前から多くのエンジニアがそういった経験を一度や二度はしているのではないだろうか
つまり並行作業への無条件の没頭は、もともとあった構造を加速させたに過ぎないかもしれない
加速する武器を手に入れたときに、振り回される人とされない人がいる
振り回されない人は、「何をやるか」もしっかり射程に入れて思考している印象がある
武器を使うかどうか、あるいはどう使うか、一度自分の中で腹落ちさせている
残念ながら全員がそんなふうにできるわけではない
かたちだけ真似をしてもうまくいかなかったり、燃え尽きたりする
ビルドトラップにハマって、結局ゴミを量産することに陥る人も出てくるだろう
「できる→だからやる」は、パッと見パワーがある感じに見えるけど、実は論理としては飛躍している
偉そうに語っているが、自分自身もついその罠にハマってしまう
並行でぶん回してみて、目の前のタスクを片付けた後に、取捨選択ができてなかったなと反省することもある
皿を回すことに集中しすぎて、「この皿、本当に回す必要ある?」という問いが抜け落ちていたと気づくのだ
余白を持つ
ではどうすればよいか
たぶん、一回手を止めて、周り(自分自身も含めて)を省みる必要がある
そのために必要なのが余白だと思う
サボるとか休むとかいう話ではなくて、「何をやるか」をじっくり考えるための余白の時間
そこで「問い」を持てるかどうかが重要な気がしている
仕事をしていれば、課題やタスクは放っておいてもやってくる
でも問いは自然には生まれにくい
「これは本当にやるべきか?」「なぜこれをやるのか?」「この先に何があるのか?」
こういう問いを立てるには、皿回しを一度止める必要がある
組織が個人に問いを持たせる仕組み(1on1とかメンタリングとか)は用意されていることもあるだろうけれど、問いをうまく引き出せるマネージャーやメンターは限られている
それはそれでかなりのスキルを要求されるから
加速する時代において、立ち止まることは非生産的に見えるかもしれない
しかし、問いを持たない加速は、ともすればどこへ向かっているのかわからないまま走り続けることになる
どの皿を回すかを適切に選ぶことができれば、中長期的に見て生産性が高い
余白を持つこと
問いを立てること
それらが生産的であると認め、奨励するようなメンタリティ、あるいは文化が、加速の時代にはむしろ必要なんじゃないだろうか
追伸
konifarさんの Developers Summit 2026 発表資料と割とシンクロしていた